#3642 : :2/21/24, 1:25 PM
今の校舎は平成元年にできた。たしか30周年記念くらいで建て替えたはず。同年入学でピカピカの一年生の教室を初めて使った。校庭で全校生徒で風船を飛ばした。
当時各学年4クラスあった。校舎屋上にあるプールが自慢だった。
当時名札が必須だった。布をビニールケースに入れる名札が主流の中で、注文してプラスチック製で名前が直接彫ってある名札はカッコ良かった。学年ごとにカラーが
白、翠、赤、青、黄、オレンジに分かれていて6年使った。
運動会は1組黄色 2組白 3組水色 4組赤 だった気がする。最初は紅白対抗だったが何年めからか4色対抗になった。
広い校庭、大人数での5、6年による騎馬戦は紅白一列に並んで向き合う光景は壮観だった。徒競走の順はわかりやすく各六名ずつがタイム順。各クラス代表のリレー選手が最終組を盛り上げた。
時代が全く違うので参考にならないが、
数十年前の当時は悪口や現代ならイジメと認定されるようなハブなど当然のように横行していた。
あまりにひどい者へは先生がビンタをしていたことも記憶にある。
教育熱心な先生、優しい先生がたくさんいた。当時から今でいう個別支援級(5組)もあった。
自分の考えや能力で闘いながら友人と切磋琢磨する時代。運動会のように児童が比べられたり優劣が見てわかるものもあった。ダメなことはハッキリと先生に叱られた。
厳しかったがたくさん努力した。緊張感をもって過ごした。子を持つ年齢になり、
こんなことも教えなければ自然に身につかない時代なのかと感じる時がある。