東京都立千歳高等学校の記録
懐かしい東京都立千歳高等学校の記憶を共有するページです。 東京都立千歳高等学校記録といえばギネスブックですが、ギネスに限らず、さまざまな世界記録、日本記録、各種大会の優勝記録や連勝記録、さらにはテレビや新聞に紹介されたなどなど何でも構わないので、あなたが知っている記録的なお話を教えてください。東京都立千歳高等学校
記録の思い出
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その他の思い出ページものぞいてみてください。
懐かしの光景・思い出
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上うわさ話・エピソード
あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録想いを伝える
昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白他の高校の記録での記憶
記録での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 記録での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。記録: | 看護科の同級生からひどいいじめを受けた、自分は途中で学校を辞めてしまい苦しい思い出を植え付けられた。その人は性格きついから看護師にあってるわ。今頃ヒィヒィ言いながら働いていると思うとざまあみろって思う |
記録: | 東大出たものだけで親睦会をしたいね。 |
記録: | 苦手な人、嫌いな人がその辺にいたら悪口三昧と暴行をしても良いと言う考え。社会的身分が高いから暴行をしても良いとか、大学に進学をするから悪口三昧と暴行をしても良いと考える行為。社会的身分が高いから個人を暴力を奮っても良いとか、それが罷り通っている社会が怖い。高校に入る前、公でない所ですでに暴力奮って学校生活を送っている今一年生。祖父母も過去に暴力を奮って逮捕。それが中部高校の祖父母。暴力をもらった娘は病院通いしました。高校からでていってくれ。 |
記録: | 休みすぎて単位落としたのか?赤点取りすぎてたのか知らんけど進級出来ないのが数人いてダブってて歳違うのに同級生になってるのが数人いた |
記録: | たんおまなと |
記録: | 獅子が森が好き |
記録: | 伊勢神宮の修学旅行 |
記録: | 中学浪人して、大学も3回浪人、医者はあきらめ浮浪者だね。 |
記録: | 学校の記録としては セーリングが全国でも活躍してて、ソウルオリンピックの銀メダリストがここの卒業生。女子柔道で全国的に活躍してる選手もいる。 |
記録: | 開校当初、男子夏服は白カッターシャツにアイボリーズボン。私服と見分けが難しく下校途中に千里中央に寄っても「一旦帰宅しました」と生活指導の先生を言い包める輩も。逆に冬服は当時珍しい紺ブレザーにグレーズボンですぐ東豊中高校の生徒とバレた。 |
高校での他の場所の記憶
他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。恋: | ポケベル送信の為休み時間公衆電話に並んだ➰ |
トイレ: | 男子お尻丸見え。気になる。目がいく無意識に。男女共同化っておもうくらい つながっている もはや共同 女気をつけろ |
保健室: | 身体測定ぐらいしか、お世話になった記憶がない(^_^;) |
屋上: | 屋上は体育館が最上階だからない、になるんじゃないかな? |
謝罪: | 瀬尾先生在学中は天の邪鬼的だ |
校庭: | 始業式とか終業式は、全校生徒千人以上がグランドに整列して、まずは校歌斉唱。これって普通❓ |
下駄箱: | ボロボロの棚が下駄箱だった。なぜか入学して最初の頃はいつもスリッパも教室に持ってくるように指導されてた。おそらく盗る奴がいるからだろう。 |
体育館: | 高3の文化祭前の休日、ギターの上手い3人組が、文化祭練習も兼ねてだったと思いますが長渕剛の曲を演奏して聴かせてくれました。感動は、今でも忘れません。 |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
謝罪: | 先生ごめんなさい |
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