学習院高等科の伝説
懐かしい学習院高等科の記憶を共有するページです。 学習院高等科学校に伝わる伝説的な逸話、例えば物凄い特技を持った生徒がいた、すごいことを成し遂げた/やらかした人がいた、超絶人気のある先生がいた、有名人が来た、テレビ撮影があった、ドラマに使われた、宇宙人が来た、学校の地下には秘密基地がある。。。などなど。ちょっと嘘っぽい話でも、あなたが知っている学校に伝わる伝説を教えてください。学習院高等科
伝説の思い出
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例)学校に伝わる伝説・逸話 |
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その他の思い出ページものぞいてみてください。
懐かしの光景・思い出
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上うわさ話・エピソード
あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録想いを伝える
昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白他の高校の伝説での記憶
伝説での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 伝説での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。伝説: | な |
伝説: | 私を知っている友達を探しています |
伝説: | ダーツの旅で撮影きた |
伝説: | 体育教師のうつみ(ハゲ)がうざかった |
伝説: | クラスの男子全員で教室の端で行った「写生飛距離競争」、一位は10mも跳んだ |
伝説: | 親が大谷行ってた人は何故か子供も大谷行かせる人多い。大昔はお嬢様学校と言われてたらしく子供が他の高校行ける頭レベルあっても推薦で行かせる変わった親多い |
伝説: | 4tzgcft6g6g6t6y6v |
伝説: | 先輩に右ストレートもらい入院 |
伝説: | 不良を一人で倒したやつがいるとかいないとか |
伝説: | 一年生交通事故 |
高校での他の場所の記憶
他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。伝説: | 大飯中学校に不法侵入した人?それ水産の人では? |
保健室: | 女子校なのに男子の変な書き込みが多いです。どなたも確認していないのですか? |
体育館: | 体育館で入学試験を行ったと言うと、同じクラスの女子は驚かれたらしい。 |
体育館: | 第一体育館には鳩がいるので入り口には網が張られていた |
怪談: | こんにちは。僕は在学中はいじめがひどくて屋上校舎から飛び降り自殺をしたのです。ですが。。。よく皆が言うお化けに助けられたのです。皆、自殺は絶対にダメだよ。今はどん底社会人だけど頑張って生きようね。病気は統合失調症です。 |
告白: | スランプになるくらい恋の病でした |
告白: | 在学中は毎日死ぬ思いで生きていました。登校するとき帰宅するときに意味もわからず泣いてしまったり。精神病のことは親にもついぞ理解されませんでした。卒業してからはこの三年間の意味を考えて絶望しました。それからしばらくはリハビリでした。しばらくは道ゆく人とすれ違うだけで吐きました。高校の名前を見て吐かなくなったのもわりと最近です。今は元気でやっています。趣味がなければ多分死んでいたでしょう。親とはその点で永遠に分かり合えないですが折り合いはつけられました。後悔もしていません。これが私の高校生活でした。さようなら。 |
体育館: | バスケ部でした下手くそだったですね(*´・ω・`)あとポジションが近いあの女バスケ部員の彼女は元気でしょうか?☺️ |
教室: | 新校舎になったばかりの頃シンナー臭がキツかったなー |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
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