岡山県立倉敷天城中学校・高等学校の下駄箱
懐かしい岡山県立倉敷天城中学校・高等学校の記憶を共有するページです。 岡山県立倉敷天城中学校・高等学校の下駄箱での様々な思い出を書き込んでください。古き良き思い出をぜび皆さんと共有してください。例)例えば下駄箱にあった不思議なものや風景、噂になっていた怖い話など教えてください。
下駄箱でラブレターもらいました?
下駄箱の上に何か飾ってありましたか?
下駄箱にはどんなものがありましたか?
岡山県立倉敷天城中学校・高等学校
下駄箱の思い出
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例)夜になると下駄箱にお化けが出るといううわさがありました。 |
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その他の思い出ページものぞいてみてください。
懐かしの光景・思い出
学校の特定の場所について昔の懐かしい光景やそこでの思い出話を主にするページです。
体育館 教室 校庭 職員室 保健室 音楽室 図書室 プール トイレ 下駄箱 屋上うわさ話・エピソード
あるテーマについて学校時代の想い出やエピソードを共有するページです。
恋 運動会 文化祭 入学式 卒業式 怪談 伝説 記録想いを伝える
昔言えなかった想いを伝えるページです。伝わるとは限りませんが皆さんの想いを吐露してください。
感謝 謝罪 告白他の高校の下駄箱での記憶
下駄箱での記憶にはみなさんはこんなことを書き込んでいます。 下駄箱での一生懸命頑張ったり、楽しかったり、がんばったり、ときには悲しかった思い出など、みなさんの記憶をつづってみてください。下駄箱: | 新校舎になって下駄箱がある所すごく広くなったね。 |
下駄箱: | これってレジェンドかな?昭和61~62年頃の事。まだ未成年で、男子は色々コロンか何か付けて色気付けてた頃、ある下駄箱のみ強烈な異臭を放っていた。でもそいつは結構女子からモテていた。もしかしたらあの臭いは異臭ではなく、昆虫と同じく異性にとっては引きよされる香りだったのかもしれない。だが、やっぱり自分は受け付けない異臭であった。現在はいいクスリがあるから、彼は改善しているに違いないと思っている。当時、あの異臭があればモテると勘違いしていた自分がいた! |
下駄箱: | ドキドキの思い出 |
下駄箱: | 上履き盗まれた |
下駄箱: | 物凄い鍵つけてた。 |
下駄箱: | 個人別に、南京錠が渡され入学時は、毎回鍵を掛けていました。カギを忘れると上靴が履けない。最後にはかけなかったけど |
下駄箱: | 下駄箱にH.Sさんからの手紙が何度か入っていました。嬉しくて舞い上がるような気分でした。 |
下駄箱: | バレンタインデーの日には下駄箱にたくさんのチョコレートが入っていました。 |
下駄箱: | 無かった |
下駄箱: | 竹〇君が下駄箱の匂いに興奮していた |
高校での他の場所の記憶
他の高校ではこんなことを書き込んでいます。 例え他愛のないことやちょっとした思い出でも、その場所を訪れた先輩や後輩等、だれかがそれを見て懐かしい気持ちを思い出し、あったかい気持ちになれるかもしれません。みなさんの記憶をつづってみてください。プール: | プールはない。 |
恋: | 12組の留奈さんはめっちゃ可愛いかった |
校庭: | S47年頃、土曜日放課後に栃女高とフォークダンスが開催されていた。サッカー部だった私は照れ隠しで硬派ふり、ダンスに行きたい気持ちをグッと堪え、校庭の塀の外で見ていた栃女生にカッコ良い所を見せようとして、ボールでは無く土を蹴って捻挫•••恥ずかしかった。 |
音楽室: | 音楽室というものはなく、視聴覚室だった |
プール: | プールの授業をした記憶がない |
恋: | 山本聖子さんに、片想い |
恋: | 先ほどの書き込みですが陸上競技部のキャプテンです |
教室: | 円筒校舎が懐かしい 現在見られないのが残念です |
恋: | RTOさん |
伝説: | 葺合高等学校は普通科のほかに英語科(現・国際課)もあり、英語の勉強に熱心な高校として地元で知られている。自分が中3の2月に英語科に合格して中学を卒業するまでの間に、中3の時の英語の先生から「葺合高校に藤本先生という、目の不自由な英語の先生がおられる。」という話を聞いた。高1の2学期に英語の授業で、その藤本先生とちょっとだけ接する機会があった。当時まだ26歳の若い先生で、生まれつきほとんど目が見えず高1の時、16歳で完全に見えなくなったと言っておられた。翌年私が高2の11月に講堂で藤本先生の講演会があり、この時にも改めて先生のこれまでの経歴やエピソードなどを聞いて、いろいろと感動した。講演の後、2年生全員に「藤本先生の話を聞いた感想を書く」という課題が出され、1クラスから2人ずつ優秀な感想文が選ばれて印刷されて学年全員に配布されることになり、うちのクラスから私の感想文が、その中の1人に選ばれた。その後私が卒業して神戸を離れ、故郷の関東に帰って大学4年生の時、新聞のテレビ欄で、NHKで「届け、盲目の教師のメッセージ・神戸市」というのを見て「これは葺合高校の藤本先生の事に違いない」と思った。そしてテレビを見たらその通りだった。自分が卒業した葺合高校の校舎や、32歳になった藤本先生の姿をテレビで見て、思わず懐かしくてうれしくなった。それから8年後には神戸新聞でも「盲目の英語教師」として40歳の藤本先生の事が紹介され、本当に藤本先生は素晴らしい方だな、と思った。先生の「人は何歳から何を始めても遅くない。人間は変われるよ。壁や限界は、自分で作っているだけなんだよ。」という言葉は本当に素晴らしいと思った。盲目にもかかわらず高校の英語教師として頑張っておられる藤本先生の事は、テレビや新聞でも取り上げられました。本当に立派な先生ですよね! |
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